ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

食事の後に頭が痛くなる

こんばんはこんにちは。…おはようございます?

 

突然ですが、退院してからのわたしの毎日は大体こんなんなんです。

 

朝:N○Kの朝ドラが終わる頃に起床。

→仕事に出かける母親を見送る。

→昼過ぎまで二度寝

 

昼:二度寝から起床。

スマホでネットサーフィンしたり、スマホゲームしたり、ベッドでごろごろ。

 

15時頃:家では煙草禁止(母には内緒)のため、近くのコンビニに出かけて2本程一服。

 

15時半頃:またまたベッドでごろごろ(たまに昼寝)。日が落ちるまでスマホいじってる。

 

17時近く:外が暗くなってくるのでリビングに移動。帰宅する母親のためにポータブルのストーブをつけて部屋を暖めておく(見たいテレビがないので、スマホいじるか、目を閉じてじっとする)

 

母親が帰宅後:夕飯(8.5割ラーメン、残り焼きそばorそばなど)を食べる。

→適当にテレビを見つつ、ストーブの前でごろごろ。この辺りから頭痛が激しめになる。

 

23時頃:とりあえずはこの時間まで頭痛に耐えてみる。

→治らなければ睡眠導入剤と頭痛薬を飲んでさっさか眠る。

 

前回、お米が食べられないとお話したのもあるし、食欲自体があまりないので、基本は夜に1食(母が仕事休みのときは昼食と夕食の2食)食べるか、まったく身体が受け付けない日は何も食べないっていうのが日常なのです。

急に夜にだけ食事を取るからなのか、夕食後にほぼほぼ頭痛と戦う羽目になります…。なぜなんだ。

以前のわたしなら、市販の頭痛薬ガバガバ飲んでるところなんだけれども、入院したときに、母親がお医者さんに頭痛薬飲み過ぎ問題を報告してしまって、それは良くないという話もされたので、ひたすら我慢です…。

 

今週、病院へ行ったときに、先生に食後の頭痛について相談してみようと思います。

お米が食べられない問題

こんにちはこんばんは。

 

タイトルの通りなのですが、

入院中、3食お米(おかゆなどが食べられないわたし用に塩おにぎり固定)生活を強いられていたせいか、退院してから1度もお米を食べていません。

 

米に対する拒絶反応がすさまじい。

 

母親が横で米を食べている様子を見るだけで吐き気が襲ってくるし、酷いときは米の炊ける匂いでもうダメになります………。

 

入院する前から食事は不規則でしたが、

退院してからは、朝昼兼用で小さなパン(日によっては食べないことも)と夜はひたすら麺類(主にラーメン)生活を1ヶ月半くらいしてきました。

 

 

大好きなアイスはよく食べるのに、食事になると「アレも嫌コレも嫌」なわたしに、母親も呆れと怒りもあるようで、最近ますます食事を取ることに嫌悪感を覚えます。

 

今のわたしにとって、食事とは「怒られないためにしなければいけない」義務のよう。しんどいです。

 

 

師走

ご無沙汰しております。

2ヶ月ぶりのブログです。

 

実家で療養してから、早4ヶ月以上が経ちました。

しんどかったし、辛いなって感じたり苛立つことも多かったけれど卒検も無事に受かり、1つ療養中の達成感で元気になれるかなあとか思っていたのですが。そんなに上手くもいくはずもなく…。

 

教習所へ通う日々から脱した〜としばらく家でのんびり過ごしていたのですが、先月末に胃腸炎と重度の過換気症候群で10日間入院。

入院する1週間程前から、食欲もなく水分以外は殆ど受け付けない状態で。

入院する3,4日前からは、自分で自分の身体を起こせないので、匍匐前進でベッドからトイレを行き来するだけになりました。身体に上手く力が入らないし、食事を取っていないのに嘔吐と下痢が酷くて、トイレで過ごそうかと思った程でした。しんどかった…。

 

入院する前日は、母の仕事が休みだったので、病院へ連れて行って欲しい旨を伝えて、通っている精神科に電話をかけてくれたのですが、その日は担当医が不在のため、診療してくれず…。次の日まで待とうってことになったのですが、わたし自身、もう身体がしんどくてしんどくてどうしようもなくて(ちょっと具体的な表現が思いつかない。とにかくしんどいの一言)。夜間に救急病院へ連れて行ってもらいました。とりあえず点滴を打ってもらって、過呼吸もあるので、翌日に通っている病院へ受診してくださいと言われ帰宅。少し良くなったような気もしなくはないですが、帰宅後はまた床を這いつくばって移動。その日の夜は、呼吸が苦しくて殆ど眠れなかったです。

いよいよどうしようもなくなって、明け方に母親の部屋に助けを求めに行き、妙齢の母におんぶされてトイレとベッドを移動しつつ、とりあえず病院の受付時間まで待つことに。時間がこんなに遅く感じたのは人生で初めてです。

 

通っていた病院では、待ちに待たされた挙句、過呼吸状態の処置は何もしてくれず、内科へ行くように言われました。

その後、家族でいつもお世話になっている内科を受診しましたが、「恐らく入院することになるだろう」とのこと、「個人病院で入院施設がないため、大きな病院を受診した方が良い」と言われ、市の総合病院へ。懇意にしていた内科の先生から、もし時間外で断られた場合には電話を下さいと言われていて、案の定、受付で時間外なので無理だと断られたそうなのですが(わたしはこの辺りから意識があまりないです)、先生が直接、総合病院へ電話をかけて下さったおかげで、急患として運ばれました。

 

わたし自身、自分が過呼吸になっていること、過呼吸になっているから身体が自由に動かさないことなどを理解していないので、看護師さんやお医者さんの「ゆっくり息して」と何度も何度も言われる度に、こんなに身体がやばいんだから呼吸だって荒くなるわ!と若干イライラしていました(笑)

総合病院に運ばれた時には、筋肉が萎縮してガチガチの状態。指も変な形で凝り固まってしまっていたようで、すぐに血液検査を受けました。過呼吸状態も治らず、血液検査の結果、緊急入院となりました。

病室へ移動してからも、過呼吸はなかなか治らず、喉が渇いたと水を一気飲みして嘔吐と下痢を繰り返し…。呼吸も少し落ち着いてきたときに、しばしば身体に電流が走るような感覚に襲われることがあり、1日目は本当にしんどかったです。

 

2日目以降、呼吸は大分楽になりましたが、固形物を口に入れた瞬間に襲ってくる吐き気と下痢。しばらく続きました…。

 

好き嫌いの多いわたしにとって、病院食は本当に苦痛でした。入院初日、意識が朦朧としている中、母と看護師さん、お医者さんの間で、普段どんな食事を取っていたかや、好き嫌いの話もしていたようで、お粥が食べられないわたしには、小さなおにぎりが毎食ついてきました。フルーツも食べられないので、代用で100%のジュースやゼリー、アイスなど、食事を取れる状態になってから、わたしが食べられるものをきちんと食べることが出来るように、たくさん配慮して下さいました。好き嫌いの多い自分は本当にダメだなあと痛感させられました。

 

血液検査の結果があまり良くなかったのか、普段通りの自分に戻ってもすぐには退院出来ず、かと言って病院の構造もわからないので、ひたすらベッドで横になっていたのですが、気分転換にと、車椅子で院内のコンビニに連れ出してくださったり、仕事が忙しくてなかなか見舞いに来られない母の代わりに看護師さんが話相手になってくださったり、後半は穏やかな入院生活でした。

 

結局、10日間も入院することになるとは思いませんでしたが、過呼吸が重度になるとこんな危険性があるということも知らずにいたので、これから気をつけなければならないことは増えましたが、知識として覚えるきっかけになったことは良かったと思いました。

 

筋肉が萎縮した状態が長く続いたせいで、身体が自由に動かせるようになってから、全身筋肉痛でめちゃくちゃ痛かったです…。おまけに、3日間ほど、床を這いつくばって移動してたので、手や肘、太ももから膝、あちこち青痣だらけの身体になって、初めて入浴した時に自分の全身を見て驚愕しました(笑)

 

 

入院したことで、またあんな状態になったらどうしようという不安が今でもすごく大きいです。回復に向かっていた(ような気がする)体調も、またゼロどころかマイナスからのスタートな状態ですが、焦らずゆっくりと治っていけたらいいなぁと思っています。

 

以前まで通っていた病院は、入院をきっかけに変更することになりました。入院した病院にも精神科があるので、そこに転院できないかと相談したところ、すぐに受け入れて下さいました。

 

 

今年は喪中のため、年末年始はいつもより寂しく静かに過ごす予定です。

家でのんびりできる環境が今は必要だとお医者さんの言葉通り、ゆっくりと過ごしたいと思います。

 

復職のことや生活面での不安は常にありますが、今はまだ、それを考える状態ではないので、現実からは目を背けつつ新しい年を迎えようと思います。

 

 

少しずつ元気になれたら、またブログな更新頻度も増やしていけたらいいな。

こんなブログを読んでくださる皆様が毎日の支えです。身体と心の状態に気をつけつつ、良いお年をお迎えください。

 

それでは。また。

 

10月

ご無沙汰しております。

 

早いもので10月。

実家で療養してから2カ月近くが経ちました。

体調は相変わらずジェットコースターのように、悪いときはとことん酷いものなのですが、ゆったりまったり過ごしています。

 

新しいことを始めたらどうかと、教習所にも通ってます。仮免には先月受かりまして、今は路上で教習しております。運転って怖いですね。

先日、教習所で始めて体調が悪くなってしまって(幸い学科教習だったのでトイレに駆け込み事なきを得ました)。

また体調が悪くなったらどうしようと教習所へ行くのが怖かったのですが、普通に大丈夫でした。行かなきゃダメって強迫観念はあんまり良くないのかもしれないけれど、教習所に行かなきゃって半強制的にでも外に出ることは少しわたしにとってはプラスになっているのかもしれないと思ってます。

 

東京の電車はいつも混んでいる気がしますが、実家の近くは電車も空いているので安心して乗れています。

少しずつリハビリ出来ている…のかな。

とは言っても、家にいて不安で堪らないときや、泣きながら布団に籠る日もあるのですけど。

 

実家での日々は、家族や教習所の方、病院の方くらいとしか会っていないので、あんまり「社会」というものに触れ合っていないこともあって、少し気楽です。今はまだ、社会復帰とか、仕事復帰というものから目を逸らしている気がするけれど、考えたら不安で堪らないので今は目の前にあることだけを淡々とこなしています。

 

 

今日は、映画を見ようと思って街に出てきました。喫茶店に入ってはみたものの、社会人の方が休憩に来ていたり、仕事中の方や学生さんがいたり、わたしが目を逸らしている間にも社会は回っているんだなって憂鬱な気持ちになってしまって、すぐにお店を出てしまった。

1人映画は本当に久しぶりです。

緊張するけれど、何事もなく帰宅できるといいな。

東京

8月も中盤になりかけてますね。

 

わたしは、絶賛

『劇場版うたのプリンスさまっ♪ マジLOVEライブキングダム』

へ入国する日々が続いていました。

 

全部で何回見たのかな…?

こんなに映画館に足を運ぶことになるとは思ってなかった。そのくらい、プリンスのみんながかっこよくてかわいくて、何より楽しくて。

病気のことや、仕事のこと、傷病手当金での金銭的な問題。いろんなことがキャパオーバー気味になっていて、自暴自棄になっていた自分にとって、唯一の楽しみであり、救いであり、生き甲斐になっていた数カ月でした。

 

うたプリという作品を好きになって、プリンスが好きになって。それがきっかけで何度も一緒に入国してくれる友だちともたくさん会って、映画の後にいろんなことを話す時間もわたしにとってはかけがえのない幸せで思い出になった。

 

映画館という場所へはやっぱり苦手意識もあって、夏ということもあって体調管理とか周りの環境で映画を見終わった後に具合が悪くなることも多かったけれど、その度に休める場所を探してくれたり、出来るだけ隣に人が来ないように配慮してくれたり、本当に友人には感謝してもしきれない。ありがとう。

 

昨日は、わたしにとって恐らく最後になる入国だった。これでプリンスに大画面で会うことも最後なんだなあとか、友人とこんなに楽しい楽しいって次の入国日を相談することももうないんだなって思ったら、いろんなことがこみ上げてきて寂しくなったし、号泣してしまった。

 

 

わたしは、明日、東京から旅立ちます。

自分でもわかってたことだし、実際に母親からも言われてしまったけれど、今の体調と精神状態で1人で療養を続けるのは難しいということで、実家に帰ることにした。

東京の家を引き払うわけではないので、元気になって戻ってくると、今でも心配してくれたり、こんな自分でも仲良くしてくれる少数の友人にはちゃんと報告出来て良かった。

 

この病気になって、いろんなものを失ったし、人間関係とか、自分から手放したものも多いけれど。

まだ、東京にも待っててくれる友人がいることが嬉しいし、幸せだなって思う。

 

そういう友人たちとしばらく会えないと思うと、自分で決めたことだけど、帰りたくないって気持ちも少し芽生えてしまって、昨日は友人とバイバイするときに泣きそうになってしまった。

 

これでサヨナラではないと信じて。

実家で病気ともちゃんと向き合って、元気になるって前を向けるようになって、ちゃんと元気になって戻ってきます。

 

 

ありがとう。東京。

わたしにたくさんの夢と幸せをくれた場所。楽しかったなあ。

 

今までの思い出を胸に、実家に帰ろうと思います。

8月ですね

早いもので、1年も折り返し過ぎてるんだな。

 

最近、自分へのけじめみたいなものとして、人間関係断捨離をしてる。

わたしは、これまで優しい友人たちに囲まれて救われてきたから、わたしにもしもの過ちがあったときに、彼女たちが傷ついたり自分を責めたりしないように。

その前に、ただの赤の他人になろうと思う。

 

大好きだった友人に別れを切り出すのは辛いし、楽しかった思い出とかいろんなことを思い出して涙が出てしまうけれど。自分で決めたことだから。

 

どうか、彼女たちの今後の人生が健やかで幸せなものでありますように。

 

 

わたしはこれまでの幸せな思い出だけ閉じ込めて、生きていけるから。

大切な人

昨日は、わたしにとってすごく大切な人の誕生日。

あ、声優さんなんだけれども。

 

あの人に出会ってから、世界が変わった。

あの人がいたから、東京での生活も怖くなんてなかった。

どんなときも、どんなに体調が悪いときも、ライブではしゃげば、たくさん元気をもらえた。病気も治してまたがんばろうって勇気もたくさんもらった。

 

ファンを喜ばせようというよりも、一緒に楽しもうっていう姿勢が大好きだった。全力で楽しかった!ってあの人が言ってくれると、彼の「楽しい」の一部に自分がなれたのかと思えて嬉しかった。

 

本当に、本当に、あと人を好きになれて、出会うことが出来て幸せだった。

たくさんの幸せをありがとう。これからもあの笑顔で、たくさんのファンのみんなを幸せにしていってほしい。ずっとずっと笑っていてほしいな。

 

 

心から、お誕生日おめでとうございます。

場所や方法は違っても、ずっとずっと大好きです。ずっとずっと、応援しています。またいつか、元気なわたしの姿で会いに行くから、そのときはまた、あの大好きな笑顔で迎え入れてほしいな。