ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

消えてなくなりたい病

こんにちはこんばんは。

 

退院してからしばらく経つけれど。

昨日のブログで「家の居心地がいいかと言われるとそうじゃない」的な表現をしたかと思うんです。

入院するに至るまでの経緯がアレだったこともあって、母親との2人きりの生活が気まずい…っていうのもありました。

 

日記を読まれたことで、わたしに借金があること(初出し情報!)もバレたし、額が額なので任意整理をしたことも知られ、お散歩の合間に煙草吸ってたこともめちゃくちゃ怒られた。

 

家族(特に母親)には絶対に知られたくなかったから自己破産ではなく任意整理にしたこともわたしが言ってないからだけど理解はしてくれずだし、煙草のために外に出てたんだろわざわざコンビニまで行ってたんだろって責められたけど、煙草を吸うことが目的なら別にベランダで事足りるのでわざわざコンビニまで歩いたりしねえよってわたしの言い分も信じてはもらえず。

絶対に知られたくないことを、わたしから実は…って受け入れる前に、勝手な方法(日記を盗み見る)で知られてしまったことが、わたしの中ではまだ許せないポイントとなっています。

 

わたしが以前、祖母の手書きの血圧帳を持ってても仕方ないし捨てるって言った母に対して、手書きの文字が残ってるって貴重なことじゃない、捨てないで取っておきなよ(祖母とのやり取りは電話ばかりだったので、手紙なんてもらった覚えもないのです)と助言したのが災いで、手書きの文字は貴重なんでしょ?死ぬなら日記は返さないと未だにどこに隠したのか普段から持ち歩いてるのか返してもらえず。

 

更に。

先日、リビングで1人ゴロゴロしていたら(母親は仕事で外出中)、ふと1枚の紙が目に入った。

わたしには見られないように隠してたものだと思うのだけれど、そこには「境界性パーソナリティ障害」についてのWikipediaの記事が印刷されていた。日付はわたしが入院してから1週間後のもの。わたしは自分がそんな障害があると主治医から聞いてもいなかったので、少しショッキングだった。

 

そして昨日。

わたしの障害のことがあって、どう接したらいいのかわかんないでいるんだろうなとか、2人でいると妙によそよそしいのはこのせいだったのかとか、母親の態度はよそよそしいのに、わたしは元気だよって面会の度にわざとテンションを上げて、会話が途切れないように気を遣ってた自分はさぞや滑稽だったろうなとかいろいろとモヤモヤしていて、昨日は母親の仕事が休みで家にいたのですが、昼過ぎまで起きず、お昼も「いらない」と素っ気なく言ってしまって、モヤモヤしてるけど罪悪感みたいな状態だったのですが。

夕方。母親がどこかに出かけていきました。すぐに帰ってくる予定だったのでしょう(案の定すぐに帰ってきた)。スマホは充電器に繋がれたまま。以前、母親からスマホの操作の話をされたときにパスコードを教えられてたわたしは(自分の記憶力に感謝)、それを解除して弟たちとのメールのやり取りを見てしまいました。

 

下の弟には、わたしをどう扱ったら良いのかわからなくて難しいと溢していました。

上の弟には、コロナの影響で面会が出来ないので、わたしに会わなくてもいいことにホッとしているという文面でした(他にもわたしが下の弟からお金を借りてたことがショックだったとも言っていたけれど)。

上の弟にメールをした日付を見ると、その日の夕方、わたしは母親にチョコレートが欲しいとリクエストしていたことを思い出した。

 

会いたくないと思っていた娘から、そんなメールが届いて、さぞや嫌だなあと思ったことでしょうねと勝手に怒りを覚えた。ただ差し入れに来ただけだから…と告げた母に対して、看護師が気を遣ってせっかくなので面会しては?と言われたこと。いい迷惑だったことでしょう。

退院するからとわたしが報告したときもあまり良い反応じゃなかったこと。

 

全部なんでだったのかわかったと絶望しました。

 

もう、以前のように何でも話せる仲良しの母と娘には戻れないんだと。

家族の中で他は男なので、母親の1番の理解者はわたしだし、わたしの1番の理解者も母だった関係はもうとっくに破綻していたのだと。

 

家族としての信頼関係もないのにも関わらず1つ屋根の下で2人共同生活を送っていること。

どう接していいのかわからないのに突き放すことも出来ず、せめてもと仕事に出かける前にわたしの分の食事を用意していること。そして、わたしはそれを望んでいないこと。食べたくもないけれど用意されてるから仕方なく口に運ぶだけの機械的な作業と1つとしてしか自分は認識出来ないこと。

 

全部が全部、馬鹿馬鹿しい。

なんて愚かな関係なんだろう。

 

それでも母はわたしを見捨てられないのだろう。たった1人の娘が借金まみれの屑人間で、こんな歳になってもまともに働けもせず家事も出来ず、恥晒しもいいところな存在であっても。どう接したら良いかもわからず、めまぐるしく変化するわたしの感情の振れ幅に悩まされて、歩みよることも出来ず、理解することも出来ず、そんな関係に疲れ果てていくのだろう。

 

 

障害のせいにはしたくないけれど、境界性パーソナリティ障害というものは物事を0か100でしか考えられないような感情の振れ幅が大きいらしいので、こんなわたしに手を焼くのなら、いっそのこと手を離してくれたら良いのにと思ってしまう。親子の縁を切るでも、「お前みたいなだらしのない人間なんてもう知らない」とひとこと告げてくれたら、捨ててくれたらわたしは楽になれるのに。

 

わたしを手離さず側において監視のようにしているのは、優しさという仮面を被った母親のエゴだと考えてしまう。

見捨てられることでわたしは楽になれるけど、見捨てる側の母親は、その後わたしがどんな酷い人生を送るのか常に頭をよぎるのだろう。わたしを捨てたことに対する罪悪感に一生頭を悩まされるのだろう。

 

それは、捨てる側がわたしになっても変わらないことだと思う。わたしには理解出来ないけれど、娘なのだから。家族なのだから。

 

信頼関係がなくても、関係性がどんなに破綻していても、血の繋がりがある以上は赤の他人にはなり得ないのは不幸なことだと思う。

 

わたしのような存在を子に持った母は、わたしの目から見て不幸な人だと思う。

お金にだらしがなくて、嫌なことがあるとすぐに逃げ出してしまった弱い人間だった離婚した父親と同じ道を歩む娘がいて。母親1人で3人の子どもを立派に育てあげたのに。まともだと思っていた、信じていた娘から裏切りにあったような気持ちだろう。自分の育て方のどこに間違いがあったのかと自分をたくさん責めて、たくさん泣いたことだろう。

 

そんなわたしでも、自分から死を選ぶことは母親からすると許されないらしい。

わたしも家族もみんな楽になる方法はどこにもないのだとしたら、母親が、家族があまりにもかわいそうだと思った。

 

 

もし、神様というものがいるのだとしたら。

 

わたしという存在を、最初からなかったことにして欲しいと願うだろう。わたしの身体は砂のように消えてなくなって、母や家族や友人、出会った人たちの記憶からもわたしという存在を消し去ってあげられたらいいのに。