ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

どうでもよいこと

こんにちはこんばんは。

 

特に改めて書くこともないのですけれども、はてなブログさんから「そろそろブログ書いたら?」って煽りのメールが届いたので(違います)近況を。

 

 

元気だったら?本来ならば?

今日は東京にいる予定でした。大好きな作品の、とっても楽しみにしていたライブはなくなってしまったけれど、今はとてもじゃないけどそういう、浮かれぽんちな気持ちとテンションと勢いで行動すべきじゃないと思うので………。うーん。残念じゃないっていうと嘘になるけど(優先的に席は用意するとはアナウンスされたものの、チケットが確保出来ているわけではないので)、仕方ないなっていうのがぴったりな気持ちかな。

 

わたし、「仕方ない」って言葉をよく使う。

そうすれば、いちばんダメージとかリスクとかがなくて済むから。よく使う言葉だけど、「仕方ない」って言葉は好きじゃない。

「頑張って」と同じくらい好きじゃない。

 

でも、今の社会って本当に(わたしが生きてる間でこんなことまたあるのかなってくらい)大変でおかしな状況で。いろいろなことを「仕方ない」で誤魔化さないとやってられないなって気持ちになる。

わたしは都会の騒々しさからはかけ離れた長閑すぎる実家でのほほんと療養という名前の自堕落な毎日を過ごしているけど、そんなわたしでも定期的に行かなきゃいけない病院や、電車や、ドラッグストアとか、異常だなって思う。

こんな田舎でさえ変だなって思うのだから、都会の人たちはもっと違和感を抱えてるのだと思う。

本当は仕事なんて行きたくないし、電車にだって乗りたくないけれど、職業柄どうしても通勤しなければならない人だってたくさんいる。わたしの母親もリモートワークが出来ない仕事だから毎日出社してる。

わたしが通う病院にはいつも医療事務の人や看護師さんお医者さんがいるし、病院という施設のスタッフさんもいる。電車を動かす車掌さんや駅員さん、ドラッグストアやコンビニに行けばそこで働いている人たちがいる。マスクを付けて。

 

難しいよね、世の中って。

 

なんか、そんなふうに改めて思う。

 

これからのこととか考えると余計に気分が落ち込むから、何も考えずにいようと思う。そんなこともいかない人ばかりなんだけど、世の中のほとんどの人はさ。でも、自分は恵まれてることに今は心身ともに休んでいいよって時だから、それに甘えていようと思う。

 

 

 

早く春が来るといいな。

 

 

あーあ。

こんにちはこんばんは。

 

出口が見えない中で、たった1つだけ。

今のわたしの「生きるよりどころ」にしていたイベントの延期が発表された。

 

覚悟は出来てた。わかってた。

中止じゃないだけありがたいのもわかってる。今は仕方ないのもわかってる。

誰が悪いとかじゃない。仕方ない。仕方ない。

 

 

 

でもさ。

 

 

また1年…それ以上?がんばらなきゃいけないんだって思うともうしんどいよ。

「優先的に」って一言で、振替行けるの確定じゃないんだ…ってすごいネガティブな気持ちになる。宙ぶらりんのまま、またソワソワドキドキしなきゃいけないのは疲れるよ。

それで、万が一、チケット取れなかったら…?って考えたら…。考えたくなさすぎる。

 

 

どうしても行きたかったんだもん。

この日のために、1年がんばろうって、また東京戻るって決めてたのに。

 

 

今年の楽しみがなくなっちゃった。

上半期の予定が何にもなくなった。

早く東京に戻る理由もなくなった。

早く元気になる理由もなくなった。

 

 

わたしにはなんにもない。

 

 

 

来年までまた1年がんばろう!って前向きな気持ちには、今のわたしはなれない。

 

 

 

 

ぽっかり穴があいちゃった。

 

 

 

消えてなくなりたい病

こんにちはこんばんは。

 

退院してからしばらく経つけれど。

昨日のブログで「家の居心地がいいかと言われるとそうじゃない」的な表現をしたかと思うんです。

入院するに至るまでの経緯がアレだったこともあって、母親との2人きりの生活が気まずい…っていうのもありました。

 

日記を読まれたことで、わたしに借金があること(初出し情報!)もバレたし、額が額なので任意整理をしたことも知られ、お散歩の合間に煙草吸ってたこともめちゃくちゃ怒られた。

 

家族(特に母親)には絶対に知られたくなかったから自己破産ではなく任意整理にしたこともわたしが言ってないからだけど理解はしてくれずだし、煙草のために外に出てたんだろわざわざコンビニまで行ってたんだろって責められたけど、煙草を吸うことが目的なら別にベランダで事足りるのでわざわざコンビニまで歩いたりしねえよってわたしの言い分も信じてはもらえず。

絶対に知られたくないことを、わたしから実は…って受け入れる前に、勝手な方法(日記を盗み見る)で知られてしまったことが、わたしの中ではまだ許せないポイントとなっています。

 

わたしが以前、祖母の手書きの血圧帳を持ってても仕方ないし捨てるって言った母に対して、手書きの文字が残ってるって貴重なことじゃない、捨てないで取っておきなよ(祖母とのやり取りは電話ばかりだったので、手紙なんてもらった覚えもないのです)と助言したのが災いで、手書きの文字は貴重なんでしょ?死ぬなら日記は返さないと未だにどこに隠したのか普段から持ち歩いてるのか返してもらえず。

 

更に。

先日、リビングで1人ゴロゴロしていたら(母親は仕事で外出中)、ふと1枚の紙が目に入った。

わたしには見られないように隠してたものだと思うのだけれど、そこには「境界性パーソナリティ障害」についてのWikipediaの記事が印刷されていた。日付はわたしが入院してから1週間後のもの。わたしは自分がそんな障害があると主治医から聞いてもいなかったので、少しショッキングだった。

 

そして昨日。

わたしの障害のことがあって、どう接したらいいのかわかんないでいるんだろうなとか、2人でいると妙によそよそしいのはこのせいだったのかとか、母親の態度はよそよそしいのに、わたしは元気だよって面会の度にわざとテンションを上げて、会話が途切れないように気を遣ってた自分はさぞや滑稽だったろうなとかいろいろとモヤモヤしていて、昨日は母親の仕事が休みで家にいたのですが、昼過ぎまで起きず、お昼も「いらない」と素っ気なく言ってしまって、モヤモヤしてるけど罪悪感みたいな状態だったのですが。

夕方。母親がどこかに出かけていきました。すぐに帰ってくる予定だったのでしょう(案の定すぐに帰ってきた)。スマホは充電器に繋がれたまま。以前、母親からスマホの操作の話をされたときにパスコードを教えられてたわたしは(自分の記憶力に感謝)、それを解除して弟たちとのメールのやり取りを見てしまいました。

 

下の弟には、わたしをどう扱ったら良いのかわからなくて難しいと溢していました。

上の弟には、コロナの影響で面会が出来ないので、わたしに会わなくてもいいことにホッとしているという文面でした(他にもわたしが下の弟からお金を借りてたことがショックだったとも言っていたけれど)。

上の弟にメールをした日付を見ると、その日の夕方、わたしは母親にチョコレートが欲しいとリクエストしていたことを思い出した。

 

会いたくないと思っていた娘から、そんなメールが届いて、さぞや嫌だなあと思ったことでしょうねと勝手に怒りを覚えた。ただ差し入れに来ただけだから…と告げた母に対して、看護師が気を遣ってせっかくなので面会しては?と言われたこと。いい迷惑だったことでしょう。

退院するからとわたしが報告したときもあまり良い反応じゃなかったこと。

 

全部なんでだったのかわかったと絶望しました。

 

もう、以前のように何でも話せる仲良しの母と娘には戻れないんだと。

家族の中で他は男なので、母親の1番の理解者はわたしだし、わたしの1番の理解者も母だった関係はもうとっくに破綻していたのだと。

 

家族としての信頼関係もないのにも関わらず1つ屋根の下で2人共同生活を送っていること。

どう接していいのかわからないのに突き放すことも出来ず、せめてもと仕事に出かける前にわたしの分の食事を用意していること。そして、わたしはそれを望んでいないこと。食べたくもないけれど用意されてるから仕方なく口に運ぶだけの機械的な作業と1つとしてしか自分は認識出来ないこと。

 

全部が全部、馬鹿馬鹿しい。

なんて愚かな関係なんだろう。

 

それでも母はわたしを見捨てられないのだろう。たった1人の娘が借金まみれの屑人間で、こんな歳になってもまともに働けもせず家事も出来ず、恥晒しもいいところな存在であっても。どう接したら良いかもわからず、めまぐるしく変化するわたしの感情の振れ幅に悩まされて、歩みよることも出来ず、理解することも出来ず、そんな関係に疲れ果てていくのだろう。

 

 

障害のせいにはしたくないけれど、境界性パーソナリティ障害というものは物事を0か100でしか考えられないような感情の振れ幅が大きいらしいので、こんなわたしに手を焼くのなら、いっそのこと手を離してくれたら良いのにと思ってしまう。親子の縁を切るでも、「お前みたいなだらしのない人間なんてもう知らない」とひとこと告げてくれたら、捨ててくれたらわたしは楽になれるのに。

 

わたしを手離さず側において監視のようにしているのは、優しさという仮面を被った母親のエゴだと考えてしまう。

見捨てられることでわたしは楽になれるけど、見捨てる側の母親は、その後わたしがどんな酷い人生を送るのか常に頭をよぎるのだろう。わたしを捨てたことに対する罪悪感に一生頭を悩まされるのだろう。

 

それは、捨てる側がわたしになっても変わらないことだと思う。わたしには理解出来ないけれど、娘なのだから。家族なのだから。

 

信頼関係がなくても、関係性がどんなに破綻していても、血の繋がりがある以上は赤の他人にはなり得ないのは不幸なことだと思う。

 

わたしのような存在を子に持った母は、わたしの目から見て不幸な人だと思う。

お金にだらしがなくて、嫌なことがあるとすぐに逃げ出してしまった弱い人間だった離婚した父親と同じ道を歩む娘がいて。母親1人で3人の子どもを立派に育てあげたのに。まともだと思っていた、信じていた娘から裏切りにあったような気持ちだろう。自分の育て方のどこに間違いがあったのかと自分をたくさん責めて、たくさん泣いたことだろう。

 

そんなわたしでも、自分から死を選ぶことは母親からすると許されないらしい。

わたしも家族もみんな楽になる方法はどこにもないのだとしたら、母親が、家族があまりにもかわいそうだと思った。

 

 

もし、神様というものがいるのだとしたら。

 

わたしという存在を、最初からなかったことにして欲しいと願うだろう。わたしの身体は砂のように消えてなくなって、母や家族や友人、出会った人たちの記憶からもわたしという存在を消し去ってあげられたらいいのに。

 

 

 

退院してました

こんにちはこんばんは。

おまめです。

 

タイトルの通りですが。先日退院してました!

任意での入院だったので退院したい旨を伝えたらスムーズに退院出来ました。わーい。

 

 

退院したいなって思ったのは、いろんなことがストレスになってしまって。療養のために入院してのんびり過ごしましょうってことになってるのになんだかなって思うことがつもりにつもった結果、ばーん!って爆発しそうになったからでした。

 

わがままなのはわかってるんです。仕方のないことなのも。

 

11月に入院したときも、今回の入院(途中まで)も、ずーっと1人だったんですね。部屋は4人部屋だったんですけど、ほかに人はいなくて1人で過ごしてたんです。だから、先生や看護師さんが来る以外は基本的に自分1人の時間を持ててたので、自由に過ごせてました。

でも、今回、途中から4人部屋に2人いたところに移動することになりまして。

元々お2人で過ごしてた中に自分が入るので、ある程度確立されたコミュニティみたいな場所にお邪魔する形になるのってやっぱり不便で。

カーテンは引いてるけれど、同じ箱の中に常に誰かがいて、トイレでもどこでも、24時間の中で自分が1人きりになれないことがわたしにとっては想像以上にストレスでした…。

 

元々1人のときから、夜中に巡回に来る看護師さんが部屋の扉を開けたり、足音が聞こえてくるだけでパッと目を覚ましてしまうくらいだったのが、同じ部屋の中でもカーテン1枚隔てた向こうに他人がいる環境下では当然眠れるわけもなくて。

食べたくもないのにお金払らされる食事にもうんざりするし、食べたくもないのになんで食事取りに行かなきゃならないんだとか小さなことにも苛つき始めてしまって(入院当初は貧血が酷かったのと、初日にベッドから落ちたせいもあって看護師さんや補助員の方が食事を運んで下さってました)、こんな状態なら家に帰ろうと思ったのでした。

 

その病院にもよるのかもしれませんが、わたしの入院してた精神科は人間らしさとか個人を尊重してくれてないなって感じてしまって。

シャワーもトイレも共同(男女は別ですが)なので、知らない人に裸を見られるのも嫌だったし、トイレも嫌でした。

コロナの影響で売店に買い物にも行けなくなってしまい、日に日にストレスが溜まっていく自分を抑えられないし、同じ病室の方や病棟の患者さんは何も悪くないのに些細なことでイライラしてしまう自分が本当に嫌で仕方なかった。

 

せっかく前を向こうと思っていてもこのままじゃまた嫌な自分に逆戻りだと思ったので、早々と退院しようと思い至ったのでした。

 

 

家の居心地がいいかと聞かれるとそんなことはないんですけどね。早く東京に帰りたい。

入院してます

なう。

 

こんにちはこんばんは。

 

 

突然ですが、2月中旬から精神科に入院しております。

生理痛のせいもありましたが、大量に市販の頭痛薬を飲んで、家の中や外で転げまくってもフラフラになりながら外を徘徊したり(その時はどうしてもコンビニで電池を買わければならないという考えしかなかったのです)、フラフラになりながらまだ頭痛薬が足りなくて買いに出かけたり。

 

そのせいで、母親からこっぴどく叱られて、

なんかもう面倒だなって気持ちになって、死のうかなって思いました。3回程薬を飲んで首を括ってみましたが、普通に死ねるはずもなく、そのことでまた母親と口論になりました。

その際に、わたしが普段つけていた日記を読まれたこと、薬と携帯を取り上げられていたことにわたしが激怒。もう東京に帰るから、帰って死ぬなりなんなりするからもう放っておいてと泣き喚いてしまい。

近くに住んでいる弟を呼んで、とりあえず病院へ行こうと半ば強引に連れて行かれ、今に至ります。

 

最初はスマホから何から荷物は全部ナースステーションに預けられていて、今も荷物の差し入れはチェックされるし、売店にも1人で行けないしで面倒だなあと思うように自由に出来ないことに少し苛つくこともあります。

 

ただ、遠くに住んでいる弟もわたしのことを聞いてすぐに駆けつけてくれて、長いことこっちにいてくれたし、いろいろと落ち着いた今、とんでもないことをしてしまったなと思っています。

今は希死念慮とかはないけれど、頭痛薬を飲みすぎてしまうことは割と日常的にしてしまっているので、これからはきっぱりやめるとは言えないんだよなあ…と。

頭が痛いとか生理痛でお腹が痛いんだから仕方ないというわたしの考えは正しいって思ってるし、決められた容量と時間じゃ効かないから多めに飲んだり時間守らなくても仕方ないじゃん痛いんだから、とは今でも思っています。

 

母は退院はいつなの?と急かしてきますが、わたしは少し先生とも相談して、必要なら婦人科を紹介してもらいたいと思っているし、必要な検査やカウンセリングも受けたいと思ってるんだけどなあ…?

どっちみち、退院しても長くは実家に留まるつもりもないので、適当に東京に帰ろうと思います。

 

今は、自分がどうすべきなのかとか、母親とのこととかあんまり考えたくないからゆっくりさせてくれって感じなんですけどね。むつかしい…。

嬉しかったこと。

・どうしても行きたいって思ってたライブのチケットが当たったこと。2枚連番で当てたから、大好きな友だちと一緒に行ける!

 

・ご飯を食べた後の頭痛の回数が少し減った(ような気がする)こと。

 

・暖かい日が多いこと。

 

・北国だから外は寒いけど、毎日10分くらいの散歩を続けられていること。

 

・最近ハマっているソシャゲのガチャで推しキャラのSSRをやっと手に入れられたこと!

 

・大好きな人からお手紙の返事をもらえたこと!勇気と元気をもらえた。後押ししてもらえた。

 

・嬉しくて、久しぶりに涙が出たこと。

心の病気なんて

こんにちはこんばんは。

 

先日、気分転換というわけではないけれども、スマホを安く機種変更出来るというメールが届きまして。

サイズの大きなスマホは苦手だなあと思い、iPhoneの5sをずーーーーっと愛用してきてたのですが…遂に8に変更しました。

ジャックは必要だけど、ワイヤレスイヤホンじゃなくて済む点がとても気に入りました。

あと、画面が見やすい?画質が大変宜しいですね。

 

ただ、年始にスマホデビューした母親とまったくのお揃いになりました(笑)

気に入った色が同じだったから仕方ない。

スマホケースさえしちゃえばあんまりわからないですしね。

 

 

さて。本題です。

これまで、病院をいくつか変えてきたわたしですが、その度に病気の名前が違うんですよね。

自律神経失調症だったり、適応障害だったり、うつ病だったり。

色々とその時々でわたしの心身状態も違うからなのかもしれないけれど、精神的なものって診る人によってやっぱり違うんだなあ、と思っているところです。

 

因みに、今の病院でのわたしは摂食障害らしいです。

拒食症ではないと自分では思うけど、痩せたいというか、痩せてる自分の身体の方が良いって気持ちは常にあるし。

今は実家で、何もしなくても食事が用意されるから与えられたものをただ食べる生活だけれど、東京へ戻って、何もかも自分でやらなくちゃいけないって状況に戻ったら、また何も食べない日とか不安定な食生活になりそう。

 

あながち摂食障害っていうのも間違いではないのかも。色々と症状がありすぎて、何に気をつけて生活すれば良いのかわからなくなりそうです。

新型肺炎の件もあるので、わたしも皆さまも本当に気をつけて日常生活を送っていかねばですね。

 

では、また。