ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

にんげん

人間関係って難しいなあと思う今日この頃。

 

人によって価値観って違うし、他人の言動をどう捉えるかも違う。

人が他人との関係性を構築して、維持していくことに正解なんてものはなくて。誰もがみんな、自分は正しいと思って言葉を掛けたり、行動に移したり。答えもなければ、テストの答案みたいにマルもバツもないから余計に難しい。

わたしのチンケな頭では世の中はわからないことだらけだ。

 

わたしは、「友人」や「親友」と呼べる人には常に正直でいたいし、素直でありたいと思う。基本は大雑把だけれど、めそめそモードになると面倒くさいとよく言われる。けれど、そうやって飾らずに素直な感情を表に出すわたしが最高にわたしらしくて好きだよ、立派な長所だよ、と大好きな人が言ってくれたから、自分はそういう人間なんだと思っている。

母親にも、何度も面倒くさいヤツと言われるけれど、いい歳した大人のくせして幼稚園児みたいに素直とも言われる。

大学生の時に、教育実習でお世話になった先生からの手紙に、「目は口ほどに物を言うと言いますが、おまめさんの素直な瞳と飾らない言動が好きでした」と書かれてあって、褒められた言葉ではないのかもしれないけれど、とても嬉しかったのを覚えている。

 

わたしは、わたしのままでいいのだと思えたから。

 

 

だから、友人や親友にも、飾らずに素直に思ったことは言葉にしてしまう。

 

「アンタのそういうところ嫌いだ」

「それはまちがってるんじゃない?」

「そんな風に言われて、わたしちょっとムカッときた」

 

とか。

類は友を呼ぶではないけれど、わたしの友人とか親友と呼べる人たちは自分みたいなタイプが多くて、相手も、わたしがめそめそしだすとそういうところが面倒くさいんだよ!と普通に言葉にする。

 

自分が本音で相手に向き合わないと、相手も自分に対して本当の言葉はくれないと思うし、上辺だけ塗りつぶされた嘘っぱちの言葉なんてわたしは欲しくない。

 

良いところはありがとう助かってる救われたって素直に言うし言われるし、逆に悪い部分や直した方がいい部分は指摘するしされてしまう。

わたしは完璧な人間じゃないから、そういうところ直した方がいいよって部分もたくさんあって。それが、自分ではまったく意識してなかった部分だったりするからハッとさせられるし、だから人間関係って大切だなあと思っていた。

 

 

わたしたちみたいな病気の人は、たくさん周りに迷惑もかけてしまうし、配慮してもらわなくちゃならないこともある。でも、世の中の人から見たら表面上は普通に見えてしまっているから、わかってほしいのにわかってくれない。誰も自分を理解してくれないとか、わたしもそういう状態になることも多いけれど、「辛いことは辛い、難しい出来ないことは出来ないって言ってくれれば、どうすればいいか一緒に考えることは出来る」と、勤めている会社の社長が言ってくれた。自分には病気の知識がないから、おまめの気持ちは伝えてくれないとわからないと。

言葉を選べよとは思ったけれど。

理解出来ないものに理解のあるフリをするのは簡単なことだ。でも、理解していないのにしているフリをされるのは辛いし悲しい。理解出来ないとハッキリ言ってくれたことで、わたしも自分の気持ちや状態を素直に話せるようになった。

 

その中で、周りの配慮は必要だけれど、でも、自分自身の意識や考え方、自分の病気をきちんと認めた上で、病気と一緒に二人三脚で歩いていかないと何も始まらないんだなと、思うようになった。

 

こんな自分は自分じゃないと否定しても、元気だった頃の自分にはすぐには戻れない。

 

病気と一緒に生きていく中で、自分自身が変わらなきゃいけないこと、気をつけなくちゃいけないこともたくさんある。どうしても上手くいかない日もあるけれど、少し工夫したり、気をつけることで、楽になれることもある。そう思っている。

思ってはいても、なかなか上手にペース配分が出来なかったり、ダメな日や物事も多いのだけれど。

生きづらい世の中で、わたしたちみたいな人間が生きていくには、たくさんたくさん気をつけなくちゃならないことだらけだ。

 

 

 

最近、大切な友人を1人失ってしまったかもしれない。

 

本音をさらけ出せるのが友人だと親友だと思っていたから、ずっと、わたしは本音で彼女と付き合ってきたし、向き合ってきた。本音の言葉しか伝えていなかった。いつも素直であろうとして、素直に感じたことをそのままにぶつけてきた。

でも、彼女にとっての「友人」という価値観は、わたしの思っているそれとは違っていたのかもしれない。そうなのだとしたら、わたしは彼女を酷く傷つけてしまったのかもしれない。でも、あの時投げかけた言葉は間違いなくわたしの本音だったから、ごめんと謝るのもどうなのだろうと思う。

 

彼女からは、わたしの言葉を最後に、連絡が来なくなった。言いたいことがあるならハッキリ言えばいいのにと最初はムカついたけれど。

言いたいこともなく、自分を否定されたからこれで関係は終わりと思われたのかな、と思って、メッセージは消した。消したことに対しても、何も連絡もないから、本当に彼女の中でわたしとの関係は終わりだったのだろうと思うことにした。ずっと本音でぶつかってきたつもりだったから、彼女にとってのわたしはそんなにあっさり手放せるような関係だったのだなあと思うと悲しいけれど。

 

 

人間関係って難しい。人間って生き物は、わたしのちっぽけな脳では想像出来ないくらい複雑なものらしい。人間って難しい。

 

数少ない友人を失ったことは悲しいし寂しいけれど、わたしは間違っていないし、彼女も間違っていないのだ。だからこそ、人と人との関わり合いは複雑で繊細で難しい。極細の糸を綱渡りしているような気分だ。

 

たとえ友人とは呼べなくなってしまっても、二度と会えないとしても、言葉を交わすことすらないとしても。

今日も明日も、彼女がこの世界のどこかで幸せに笑っていることを願っている。それが、友人としてわたしに出来る最後の1つだと思っている。