ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

梅雨入りだそうですね。

 

雨の日は、ほぼほぼ100%体調が死って感じだから好きじゃない。

偏頭痛で頭が割れそうになるし、常にむかむかと気持ち悪い。食欲ないのはいつものことだしダイエットになるから、まあいいけど。常に良くない顔色がふらふらするせいで余計に悪く見えるし。

 

「顔色死んでるけど大丈夫?」

って友人に会うとだいたい聞かれる台詞なんだけど、正直言えば大丈夫じゃない。具合悪くない日なんてあんまりないから、大好きな人に会えるって楽しみだけで頭痛も吐き気も震えも、漠然とした不安や怖さも、全部押し込める。

こんな自分にも、まだ最近どう?とか、ご飯食べてる?また細くなったんじゃない?とか心配してくれる存在もいてくれて、おまめが楽しいことしよう!って外に連れ出してくれる存在もいてくれる。ありがたいことだ。そんな優しい人たちがいてくれるだけで自分はもしかしたらものすごく幸せものなのかもしれない。

 

 

 

雨の日は嫌いだから、梅雨なんて大嫌いだ。まともに活動出来る日がただでさえ少ないっていうのに、それがもっと減ってしまう。

大好きな人たちに会うときは、3日前くらいからちゃんと行けますようにって願って早めに寝る、出来るだけ安静に過ごして当日迎えられるようにする、などなどいろいろと気を遣って過ごさないとならない。そうしてても、当日やっぱり駄目な日があると、本当に申し訳なくて、捨てられるんじゃないかって怖くなる。

今の友人はみんな自分の病気について理解してくれていて、人混みに揉まれそうになると、どこかで休憩しようか?とかさり気なくわたしの腕を掴んでわたしが波に呑み込まれそうになるのを引き戻してくれる。本当に優しい人たちだ。彼女たちが幸せになれるなら、わたしのすべてを投げ打ってでも幸せになってほしいと思うし、彼女たちを泣かせるような奴はわたしが全力で潰してやりたいと思う。

 

家族でも、友人でも、それ以外のカテゴリに該当する人でも。

自分の病気を100%理解するのは当事者じゃない分難しいものがあるけれど、

例えば「こういうことが辛い」とか苦手なことやもの、難しいこと。そういうことを話して「理解しようとしてくれる姿勢」を向けてくれることはありがたいと思う。

1度、「そういう風になっちゃったときに、わたしはどうしたら辛くなくなる?」とライブにもよく一緒に行く友人に聞かれたとき、すごく嬉しかった。

実際、ライブ会場に行くのに発作に見舞われてしまったり、ライブ中に外で休んだりしたこともあったけれど、彼女は文句も言わずにただ隣に寄り添ってくれた。

迷惑かけられないから、一緒にライブは行けない。わたしはもうそういう場所には行けない。って告白したときも、「自分が隣にいることで、余計に辛くさせちゃってた?」って、勝手なことを言うわたしのことなんてまったく責めはしなかった。

彼女曰く、ライブ自体楽しいけど、「おまめが一緒だから」楽しいって思うんだよ、と。

 

「ステージと客席なんて、そんな遠くにいる推しより、隣で具合悪そうにしてる友だちの方が大事に決まってるじゃん!」

笑顔でそう言い切ってくれた彼女に、わたしはこの人とずっと友人でありたいと思った。

彼女とは、お互い言いたいことは言う仲なので、偶に喧嘩になったり、険悪なムードになることもあるけれど。そこはお互いいい大人だし、話し合いしようかって会う約束を取り付け、結局会ってしまうといつもと同じ雰囲気になってしまって、仲直りって空気もないまま気づいたら元通りに戻ってしまっている。

ネガティブスイッチが入ったわたしに対して「面倒くさい」と竹を割ったような性格の彼女はスバっと言うけれど、なんだかんだで話はちゃんと聞いてくれる。

ネガティブモードのおまめは面倒くさいけど、基本のさっぱりした性格が話しやすくて大好きだよって言ってくれる。

彼女も本当に稀だけれど、わたしが比較的元気なときに、ちょっと聞いてよ!って愚痴を零すこともあるし、彼女曰く、それに対するわたしの相槌や話を聞く姿勢、助言などが好きなのだと。実にわたしらしくて、自分の中にはなかった考えなんかをぽっと出してやんわり提案してくれるところが、押しつけじゃなくて好きって言ってくれる。

わたし自身は、自分を「面倒くさいという言葉を塊にした奴」だと認識しているけれど、彼女みたいな言葉をくれる人がいると、自分は自分でいていいのかもしれないな、と思う。

 

 

 

 

雨の日は、家に篭ってじっとしていることが多い。そうすると、家族や友人、大好きな人たちの存在や、くれた言葉なんかを思い出したりもする。大好きな音楽を聴きながら、のんびりそんな物思いに耽る時間は好き。外の雨音をBGMにしながら本を読んだり、お昼寝をしたり、そんなとりとめのない考えごとをしたりする時間は大好きだから、

 

雨は嫌いだけれど、雨の日はそんなに嫌いじゃないのかもしれない。