ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

ゆっくり

気まぐれな猫みたいな毎日を過ごしているのに、とてつもなく生命力に満ち溢れてて、世界が輝いて見える!生きてる!最高!!!!!みたいな日もあれば、今すぐにでも滅びの呪文を唱えたくなるくらいに日常というものを生きている人間すべてに憎しみを抱く日もある。

 

好きな時間に眠って、好きなだけ眠って。気晴らしに買い物とか、大好きなドラッグストアをうろうろしてみたり、暑いからアイスを好きなだけ食べて、少しお昼寝してみたり、好きなだけテレビを見て、YouTubeで動画を漁って、好きなだけソシャゲに時間を使える。最高の毎日のはずなのに。

 

 

とてつもなく突然に、何もかも捨てたくなって、この世界から消えてしまえたらいいのにと思う。

 

「死にたい」と「生きていたくない」は似ているけれど違うと自分自身は捉えている。わたしは圧倒的に「生きていたくない」と思うことが多くて、生きていなくていい手段としてどうしたらいいのかを考えると、残念ながら現代の社会では死ぬという選択肢しかないのかなと思う。

 

ゲームでよくある、砂みたいに自分の身体が跡形もなく綺麗にサラサラと消失していけたらいいのになとよく考えるし、アニメやゲームでそうして消えていくキャラクターを見ると、刹那的で綺麗な幕引きで羨ましい。自分もそうなれたら良いのにと思う。

 

生きているってどういう状態なんだろう。心臓は確かに鼓動をしていても、頭の中で消えてなくなりたいと考えている状態は、「生きてる」って呼んで良いものなのだろうか。心が、感情が、揺さぶられることもなく死んでいたら、それは「生きてる」って言えるのだろうか。

 

わたしには、他人の心や感情が目に見えない。だから、周りの人たちが何を考えて、どういう感情に揺さぶられて生きているのかわからない。恐らくだけれど、周囲の人たちから見た自分の心も、何を考えて動作をしているかもきっとわからないはずだ。

大好きな人の傍にいるときも、大切な人と過ごしている時間の中でも、わたしの心の中には常に「消えてなくなりたい」というどす黒い塊が底に沈んでいたり、水面から顔を出していたりする。そんな醜い感情を心の奥底に閉まったまま、貼り付けた笑顔を浮かべている自分が薄ら寒いと思うし、大好きな人、大切な人たちに対して申し訳ない罪悪感でいっぱいになる。

 

どうしたら、この塊はわたしの心から消え去ってくれるのだろう。

 

焦らず。

ゆっくりね。

 

そんな優しい言葉を掛けられる度に、胸が苦しくなる。