ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

二律背反

積極的に痩せたいというわけではないのだけれど、肥りたくはない。

と、医者から食事の心配をされる度にそう思う。

 

二律背反ってやつ?

注:おまめは「二律背反」についてマクロスFの歌詞くらいの知識しかありません。

 

“守るけど傍にいれない”っていうのは、なんとなくわかるけど(二律背反として)、“味方だけど愛してない”は別に愛してなきゃいけない必要もなくないか?ってふと思った。

 

 

脱線。

肥りたくないから、食事の量を減らすとか、嘔吐してしまったり下剤を利用するとかはないので、摂食障害ではないと思うのです。

でも、痩せすぎなので、もう少し太って下さいとか、頑張って食事を取りましょうとか言われると、それは嫌です現状維持したいですってなる。

 

医者から特に摂食障害と言われてないので問題ないのかもしれないけれど、こういう自分の体重に関する考え方っておかしいのかな。

 

 

わたしは、昔から痩せ型の体型で。

両親も共に痩せ型、家族揃ってみんな痩せ型みたいな家庭だった。

思春期に、わたしは少し太ってしまったけれど、それでも他の人から見ると十分痩せてるという程度。

昔から「細いね」とか「痩せてるね」と言われることが多かった自分にとって、

「痩せている」というのは一種のステータスだ。「細いね」と言われれば嬉しいし、「少し太った?」と言われればへこむ。

 

今の体重が健康的でないことはわかっている。「痩せすぎ」という領域に片足を突っ込んでいる状態なのもわかってる。

 

病気と向き合って、上手く付き合っていった先に目指しているものが社会、職場復帰なのだから、今の体重では体力的にも健康的にもよろしくない状態なのだとは認めてはいる。

でも、どれだけわかっていても、肥るのは嫌だと脳が拒否する。

 

元々食に大した興味関心がなかった自分にとっては、この病気にかかったことで「食」に関する欲望は急速に、輪をかけて失っていったものだった。

食べたくない訳ではないけれど、特に食べたいものもないし、料理をしない自分にとっては食事を取る=買い物に出かけることに繋がるので、外に出たくないから食べなくていいやという思考が完成する。

そうなれば、身体は自然と、するすると痩せていった。

 

こんな身体になってしまっても、「また痩せた?」と聞かれれば心のどこかで少し嬉しいとさえ思う自分がいる。

 

積極的に痩せたいという願望に囚われているわけではないので、自分のこういう気持ちは一体何なのだろうと思う。

 

病気でないなら、まあいいのかな、くらいに思っておかないと、自分の身体がどうなっていくのか少し不安だから、あまり考えないようにしているのだけれど。