ないものねだりはしたくない
2019年5月。
5年程の付き合いになるうつ病のため、働いている会社を休職することになった。
小さな会社ではあるけれど、派遣で適当にやったその日暮らしの自分を正社員に引っ張ってくれた場所だった。こんな自分を必要としてくれているところがあるんだと思えた。わたしにとって居場所をくれた人たちのために、自分に出来ることをがんばろうと思っていた。
でも、わたしには無理だった。
ないものねだりだったんだ。わたしには。
悩みを聞いてくれたり、雑談をしてくれる先輩たちはみんないなくなった。気づけば取り残されたのはわたし1人で、自分が女性社員の1番の古株で最年長になっていた。プレッシャーは感じなかったけれど、今まで抱えていた悩みや愚痴を零す相手はいなくなって、誰に相談したら良いのか、どこにぶつけたら良いのかわからなくなっていくうちに、体調はどんどん悪くなっていった。どうしても家から出られない日や布団から出ることさえ難しい日も増えた。
欠勤が重なれば、必ずツケが回ってくるのが今の社会では当たり前で、わたしは会社での居場所を失った。休みが多いことを直接咎められることはなかったけれど、周囲がわたしを見る目は明らかに違っていって、自分に任されていた作業は他の人に回されていく。その繰り返しだった。信頼も居場所も無くしてしまうとますます会社へ行けない日が増えていく悪循環な日々は3年くらい続いた。
なんのために朝起きるのか。
なんのために化粧をして、準備をするのか。
なんのために着替えるのか。
なんのために足は駅へと向かうのか。
なんのために電車に揺られて、いつもの倍以上の時間をかけて会社へ向かうのか。
なんのために、わたしは自分のとりあえずの居場所である座席に座ってるのか。
ただただ定時が来るのを待つ毎日。
急行の電車には既に乗れなくなっていて、各駅停車で余計な時間と神経を使ってくたくたになって帰宅する。空腹は煙草で紛らわせて、シャワーに入る。
眠剤を飲んで睡魔が訪れるのをじっと待つ。この時間がたまらなく不安で怖かった。
明日は仕事に行けるのかな。
ちゃんと布団から出られるのかな。
ちゃんと電車に乗れるかな。
ちゃんと会社へ辿り着けるかな。
ちゃんと。
ちゃんとしなくちゃ駄目だ。
ちゃんとしないと、わたしの場所が、席がなくなってしまう。
病気になって、
信頼も居場所も、友人も、趣味も、たくさんのものを失った。
だから、せめて社会と自分を繋ぎ止める「席」だけは、失いたくなかった。