ないものねだり。

うつ病で休職中。のんびり日常メンヘラブログ。

虹のふもと

休職してから、お昼寝後の日課になっていた『あさが来た』の再放送が終わってしまった……。

 

ラスト2話はめちゃくちゃ泣いてしまった……。

あさちゃん(波瑠さん)が呼びかける「旦那様(玉木宏さん)」がとてつもなく好きだったなあ。このドラマで波瑠さんのファンになった!と言っていた母親の気持ちがめちゃくちゃ分かりみが深い…って思った。わたしもすっかり波瑠さんのファンになってしまった。

 

わたし自身は、結婚願望というものが微塵もなくて、将来、自分の子どもを残すつもりもないので、大好きな母の余生を一緒に謳歌した後の自分の人生はそんなに考えたこともなくて。というか、生まれたときからずっと一緒にいる母親が、わたしの人生からいなくなることが本当に想像出来なくて。母がいなくなってしまったら、後のことはもうどうだっていいんだとさえ思っているし、喪失感で潰れそうになってしまったら、母の後を追っても良いとさえ思っている。

 

一応、頼まれていることもあるし、母親よりは長生きするのが親孝行というものらしいのと、こんな娘でもわたしが死んだら悲しいと言ってくれたので、もうちょっと頑張って、母と寄り添って母のために生きていきたいというのが目的ではあるのだけれど。

 

残せるものが何もないわたしは、1人で死んでいくしかないんだよなって、それが当たり前みたいに思っていた。

 

けれど、『あさが来た』の旦那様のように、周りのみんなに言いたいことを伝えられて、

最期に「おおきに」って言える人生の終わり方も、なんだか素敵だと思えた。自分の側には大切なあさちゃんがいて、2人きりで、最期の時間を過ごすことの出来た、「これからもずっと側にいる」そんなことを伝えられる相手がいる人生も、悪くないと思った。

 

 

人は死ぬと、虹のふもとには飼っていたペットが待っていてくれるという話を、どこかで読んだことがある。

自分は昔、犬を飼っていたけれど、最低限の面倒しか見ていなかったし、引越しと同時に、老犬だった彼女は知り合いに引き取ってもらった。たくさんの愛情を彼女には捧げてあげられなかったから、きっと、彼女はわたしを待っていてはくれないのだろう。それでいい。彼女の最期を看取ってくれた知り合いを待っていて欲しい。

 

 

でも、もし虹のふもとにいてくれるのが、ペットに限らなかったら。もし、誰かが待っていてくれるのだとしたら。

 

虹を一緒に渡ってくれる人が存在するのだとしたら、わたしは母がいい。母にはきっと、ばあちゃんが待っていてくれるはずだから、そこで2人でわたしを待っていてくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。母とばあちゃんと3人で、ゆっくり虹を渡っていくんだ。

 

旦那様は、本当にあさちゃんをずっと見守ってきたのだろう。

ずっとずっと、あさちゃんの傍にいてくれたのだろう。

 

そんな風に思えた、あのラストのシーンがすごく綺麗で美しくて、素敵だったなあ。最初から見ていた訳じゃないけれど、あさちゃんの旦那様みたいな夫婦の形は、穏やかでとても素敵だと思えた。

 

 

もし、虹のふもとのお話が本当にあるのだとしたら、死ぬことなんて少しも怖くないし、死んだ先にも楽しみが待っていてくれて、寧ろ幸せな気持ちになれるのに。

 

虹のふもとで、母はわたしに何て声をかけてくれるのだろうか。想像するだけで少し笑顔になれる。

 

わたしは泣き虫だから、きっと、母の顔を見ただけで、久しぶりに元気なばあちゃんに会えただけで、すごくすごく泣いてしまうのだと思う。

いつもすぐに泣くわたしに対して、母がかける「そんなことで泣いて。馬鹿じゃないの」この言葉が聞けたらいい。